6)バーチャル・ユニバーシティ
木橋哲夫さんの「バーチャル大学院開校」(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=2845)をもとに様々な方から意見が出ているようですので、私も少し考えてみました。
2012年9月13日木曜日
2012年9月11日火曜日
「バーチャル大学院」開校
ついにネットを利用した大学院が、来年4月に信州大工学部にて開校する。好きな時間に講義を受けられ、ネット上で単位を取得することも可能で、講義を動画として見ながら教官とリアルタイムで話したり、口頭試験を受けたりすることができるようなシステムだそうである。以前この掲示板で、「テレワークスタイル」についての議論があったが、この大学院はさしずめその教育版ということになるのだろう。
2012年9月10日月曜日
インターネットの世界:5)議論の前提としての補足
5)議論の前提としての補足
メディアによって失われるものがある、あるいは、インターネットによって人間関係が希薄になる、といった意見が結構多くあったように見受けられますが、これらの指摘には一理あるものの、インターネットの可能性という話とは、少し問題が違うのではないかと思います。
そもそもこれらは全てメディアのせいなのでしょうか。私は全てがそうであるとは思いません。(影響があるとすれば、子どもの生育過程での影響は問題となっているかもしれません。)
また人間関係の希薄さという社会病理を、インターネットなどのメディアが解決すべきであるともできるとも思いません。人間関係の希薄さを問題にするのであれば、共同体の再構築を優先課題として考えなければならないでしょう。それはインターネットの可能性を論ずるのとは、視点が少し異なるのではないでしょうか。
繰り返し述べているように、親和や解脱といった事柄をネット上だけで完結させるのはそもそも不可能です。また、以前に江岸さんが挙げられていた空間から五感に伝わってくる「感動」のようなものもインターネットでは創出することは無理でしょう。ブロードバンドの実現によってもおそらくこの状況は変わらないのではないでしょうか。
メディアによって失われるものがある、あるいは、インターネットによって人間関係が希薄になる、といった意見が結構多くあったように見受けられますが、これらの指摘には一理あるものの、インターネットの可能性という話とは、少し問題が違うのではないかと思います。
そもそもこれらは全てメディアのせいなのでしょうか。私は全てがそうであるとは思いません。(影響があるとすれば、子どもの生育過程での影響は問題となっているかもしれません。)
また人間関係の希薄さという社会病理を、インターネットなどのメディアが解決すべきであるともできるとも思いません。人間関係の希薄さを問題にするのであれば、共同体の再構築を優先課題として考えなければならないでしょう。それはインターネットの可能性を論ずるのとは、視点が少し異なるのではないでしょうか。
繰り返し述べているように、親和や解脱といった事柄をネット上だけで完結させるのはそもそも不可能です。また、以前に江岸さんが挙げられていた空間から五感に伝わってくる「感動」のようなものもインターネットでは創出することは無理でしょう。ブロードバンドの実現によってもおそらくこの状況は変わらないのではないでしょうか。
| 岩井裕介 |
2012年9月9日日曜日
インターネットの世界:4)評価軸=統合軸
| 4)評価軸=統合軸 前回述べた内容が万人の参加を可能にする要素であるわけですが、このるいインターネットの主旨である「万人が参加する場」のイメージが、一部の方と異なっているようなので、私の見解を述べておきます。 現在、前述のインターネットの特徴から、多くの人々が参加できる可能性が開かれているわけですが、それだけでは単にツールとしてそれも可能というだけで、実現性のある「場」足り得ていません。 「場」というからには、何らかの圧力、つまり統合軸=評価軸が必要なのです。これがなければ、実際に多くの人が集まることなどないであろうし、何かを生み出す「場」として成立しないだろうと思います。 |
2012年9月8日土曜日
インターネットの世界:3)情報の共有ということ
| 3)情報の共有ということ インターネットの可能性についてさらに議論が継続していますので、私も続いて意見を述べたいと思います。 前回の投稿で、個人ホームページの例を引いて、インターネットの世界に親和や解脱など(心や感情の交流)を求める試みは、既に失敗を経験済みであることをいいました。そうした意味で、バーチャルな世界に人間関係が包括されてしまうことなど全くありえないし、あたりまえすぎますがインターネットは万能ではないと言えます。その前提を頭に置きつつ、今回はインターネットが持つプラスの可能性について考えてみたいと思います。 極めて単純な話ですが、インターネットのインフラ(ハード)としての魅力は、物理的な空間を超えることができること、それと情報が共有できることに尽きるのではないかと思います。 情報が共有できるということをもっと考え進めるに、それはそこでやりとりされる「情報」が、一般的な「もの」の世界とは異なり、希少性に還元されない(簡単に複製可能である)、そして占有が回避される(同時使用が可能である)ということになるでしょう(もちろん「情報」を生み出す主体=人間は有限ですが)。 これは、私的所有の世界とは異なる可能性を感じさせるものです。 |
| 岩井裕介 |
2012年9月7日金曜日
現実としてのインターネット
| インターネットはお互い顔が見えないから人間的な結びつきを期待できない、あるいはどちらかといえば純粋な理論形成にむいたメディアである、といった意見がいくつかありました。確かにそれはそれでその通りだと思うのですが、条件によっては必ずしもそうとは言いきれないように感じます。 というのもまず、画面を通じたやりとりは対面的なやりとりに比べてコミュニケーション能力面での敷居が低い分、誰でも気軽に参加できるという側面があり(ハードの普及という問題はさして重要ではないでしょう)、現実に場を見つけられない人間の受け皿となりえます。 |
2012年9月6日木曜日
人間関係は対面で築くもの
| 私は、奈良の田舎で農業に従事していますが、ここ2年ほどの間に、いわゆる「田舎暮らし」や「自然志向」の人たちが、何人かこの町に越して来ました。動機はそれぞれなのですが、皆私と同世代ぐらいで、月に1~2度「溜り場」(自然工芸の店)に集まっては話をしています。 特に何かの活動をしている訳でもないのですが、集まって話をすることそのものに充足し、何かの可能性を皆が感じているようです。また、先日の「寄合い」では、田舎暮らしの実態や、何よりもこのように充足できる場があることを、誰かに伝えたい、輪を広げたいという思いが、皆に共通するものとしてあるようでした。そこで、会報みたいなものを発行しようと言う話から始まり、でもそれでは広がりに限界があるし、費用も掛かるし・・・などと話をするうちに、結局皆でHPを作るのがいいんじゃないかということになり、現在準備中です。(鑑になるか、ゴミになるか・・・) さて、インターネットは人間関係の希薄化に拍車をかける、という意見は同意できる部分もあると思います。しかし、むしろ人間関係は対面で形成すべきものであり、従って今現在、人間関係が希薄なこと自体が問題なのではないでしょうか。それをネットに求めても無理なのだと思います。言葉だけでなく、お互いの表情や共同作業などから感じられる充足は、どうしたってネットでは得られないものです。 ネットは、社会統合の地平においては、無限の広がりと可能性を感じさせますが、身近な人間関係、仲間関係の充足は、対面によらざるを得ないのだと思います。つまり、社会統合の方法論と、仲間充足の方法論は全く別物と考えるべきなのでしょう。 |
小松由布樹
2012年9月5日水曜日
事実を創り出す「過程」
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2012年9月4日火曜日
インターネットの世界:2)議論の前提として
2)議論の前提として
改めて、インターネットが顔の見えないメディアであることのメリット、デメリットについて考えてみるに、私は顔が見えないこと自体によるメリットはやはり考えにくいのではないかと思います。匿名性ゆえの無責任さなど、圧倒的にデメリットのほうが大きいでしょう。
しかしだからといって共認形成のツールとして不十分であると考えるのではなく、インターネットはそもそも物理的空間に制約されないメディアであるがゆえに(それが最大のメリットなのですが)、「顔が見えない」という特性を持っているわけですから、メリット、デメリットではなくそれを前提に可能性を探っていったほうが生産的な議論ができると思います。
その可能性とは、ひとつは越見さんや小松さんのいわれる「観念共認」の可能性、そしてもうひとつは実用価値のあるものを皆で創り出していく可能性であると思います。実用価値のあるものというのは、一例を挙げるとすれば、Linuxの成功が思い浮かびます。
改めて、インターネットが顔の見えないメディアであることのメリット、デメリットについて考えてみるに、私は顔が見えないこと自体によるメリットはやはり考えにくいのではないかと思います。匿名性ゆえの無責任さなど、圧倒的にデメリットのほうが大きいでしょう。
しかしだからといって共認形成のツールとして不十分であると考えるのではなく、インターネットはそもそも物理的空間に制約されないメディアであるがゆえに(それが最大のメリットなのですが)、「顔が見えない」という特性を持っているわけですから、メリット、デメリットではなくそれを前提に可能性を探っていったほうが生産的な議論ができると思います。
その可能性とは、ひとつは越見さんや小松さんのいわれる「観念共認」の可能性、そしてもうひとつは実用価値のあるものを皆で創り出していく可能性であると思います。実用価値のあるものというのは、一例を挙げるとすれば、Linuxの成功が思い浮かびます。
| 岩井裕介 |
2012年9月3日月曜日
インターネットの世界:1)顔の見えないメディア
1)顔の見えないメディア
インターネットの可能性についてたくさんの方が意見を投稿されているので、私も思うところを少し述べたいと思います。
まず顔の見えないメディアであることのメリット、デメリットについて論じられていましたが、これについて少し考えてみたいと思います。
大衆レベルへのインターネットの普及の過程で、一時期個人ホームページの開設が流行しました(現在でもかなりの人が熱意をもって取り組んでいますが)。これは私が思うに、インターネットという世界にまだ見ぬ誰かとの出会いを求める心理の表れではないか考えます。「誰か」とは、自分を分かって受け入れてくれる人なのでしょう。
インターネットの可能性についてたくさんの方が意見を投稿されているので、私も思うところを少し述べたいと思います。
まず顔の見えないメディアであることのメリット、デメリットについて論じられていましたが、これについて少し考えてみたいと思います。
大衆レベルへのインターネットの普及の過程で、一時期個人ホームページの開設が流行しました(現在でもかなりの人が熱意をもって取り組んでいますが)。これは私が思うに、インターネットという世界にまだ見ぬ誰かとの出会いを求める心理の表れではないか考えます。「誰か」とは、自分を分かって受け入れてくれる人なのでしょう。
2012年9月2日日曜日
共認社会のインフラ
本源収束という点からみると、近年の人々の意識潮流は、例えば自然との共生、あるいは身近に体感しあえる仲間関係、さらにもっと高次元の社会活動などといった本源的(人間的)価値へと向かいつつあるといえます。これは同時に、現状の社会の閉塞状態を自覚し、そこから脱出を図りたいと可能性を探っているのだともいえるでしょう。
しかし、我々は顕在的に捉えられる危機感を、あるいは潜在的に自覚しているはずの新たな可能性を、未だ明確な概念で捉えきれないままなのではないでしょうか。
私権にすがりついてもむなしいだけだと肉体的に感じ取ることは出来ても、それを明確に説明できない、「私権」という本質すら自覚できない。これでは心の奥底に芽生えているハズの新たな可能性を自らつかみ取ること事は出来ないばかりか、相手に伝えることなどおぼつかないことでしょう。
しかし、我々は顕在的に捉えられる危機感を、あるいは潜在的に自覚しているはずの新たな可能性を、未だ明確な概念で捉えきれないままなのではないでしょうか。
私権にすがりついてもむなしいだけだと肉体的に感じ取ることは出来ても、それを明確に説明できない、「私権」という本質すら自覚できない。これでは心の奥底に芽生えているハズの新たな可能性を自らつかみ取ること事は出来ないばかりか、相手に伝えることなどおぼつかないことでしょう。
2012年9月1日土曜日
「インターネットと人間」
| >ネットのいいところは相手の顔を見ずに、また自分の顔を見られずに思ったことを言いあえるところだと思う。また、時間の自由が利くという点も便利なところだ。確かにこういった便利なことは多々あるが、自分はどうしてもなじめない。確かに議論を交わすことは楽しいことだ。しかし、ネット上だけで終わって欲しくない。相手の顔を見て話し合いたい。でなければ伝わらないことがあるはずである。 >情報技術の発達はこれからの時代の基盤になっていくだろうが、それによって人間対人間の関係が失われていくのが残念だ。 そもそも、チャットや掲示板など、インターネットによる対話に、これほどまでに人々がのめり込む背景には、私権主体としての存在理由の喪失に伴い生起しつつある承認欠乏(とにか誰かに認めて欲しい、わかって欲しい・・・)の上昇と、その想いとは裏腹に孕む対人関係上の”壁”(警戒心・・・他者に心が開けない)の結果、あえて”顔の見えない”相手との繋がりを求めるという構造があるからではないでしょうか。 |
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