2012年9月5日水曜日

事実を創り出す「過程」

>つまり、生きていく上で最も必要なものが、どうやってできているのかわからない。スーパーの店頭に並ぶ「結果」しか知らず、そこまでの「過程」を知らないのです。

>そこから私達は大事なことを、情報という、もしかしたら歪められているフィルターを通して知るしかない、情報に踊らされるということが起こってしまうのです。

「結果」しか知らず、「過程」を知らない・・・そして、歪められたフィルターを通した情報に踊らされている・・・

これは、現代社会の問題性を考える上で重要な構造を含んでいるのではないか・・・
例えば、知識偏重の教育問題。求められるのは「答え」であり、自ら工夫し、考える「過程」については疎かにされている。結果として、応用の利かない石頭ばかり・・・。
例えば、環境問題。何が問題なのか?を追求する思考「過程」は捨象、或いは隠蔽され、不安感を煽る「結果」だけが流布される。
そして、過去の投稿でもその信頼性がとりだたされたマスコミ問題。市場の囚われ人たる一企業により色が付けられた「結果」としての情報に踊らされる大衆・・・・

論理整合性があり、皆が認めるものを事実=正確な情報であるとすれば、この、インターネットによる議論→共認形成の「過程」にこそ、既存のマスコミに代わる、新たなメディアの資格(正当性)が存在するのではないだろうか。
つまり、事実とは、何者からか与えられるものでは無く、あらゆる社会的しがらみ(職業、地位、宗教、主義、思想・・・)から自由な万人が、自ら議論を通じて納得し、構築すべき性質のものなのではないかということ。
例えば、作家の村上龍氏が編集長を務める「JMM」(Japan Mail Media:金融・経済についてのメールマガジン)などは、その、先駆的な一例と見ることができるのではないだろうか。既存のマスコミの発する情報の曖昧さへの不信感に端を発するこの試みは、村上氏の、金融・経済に関する疑問に、第一線で活躍する、しかし無名の専門家がネットを通じて答える・・・また、座談会を開催し、議論する「過程」を通じて、一体何が問題なのか?を明らかにしようとする、一種の”実験”である。
そして、この”るいネット”の存在。もちろん、「実現論」という叩き台はある。しかし、それは、あくまでも叩き台であり、決して、固定され、動くことの無い「結果」ではない。我々は、我々自身の納得のいく「事実」を、この場で構築することが出来る”自由”を与えられているのである。


越見東太 

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