2012年9月3日月曜日

インターネットの世界:1)顔の見えないメディア

1)顔の見えないメディア
インターネットの可能性についてたくさんの方が意見を投稿されているので、私も思うところを少し述べたいと思います。


まず顔の見えないメディアであることのメリット、デメリットについて論じられていましたが、これについて少し考えてみたいと思います。

大衆レベルへのインターネットの普及の過程で、一時期個人ホームページの開設が流行しました(現在でもかなりの人が熱意をもって取り組んでいますが)。これは私が思うに、インターネットという世界にまだ見ぬ誰かとの出会いを求める心理の表れではないか考えます。「誰か」とは、自分を分かって受け入れてくれる人なのでしょう。

それによって実際により広い人間関係のつながりをもち得た人もいるでしょうが、多くの場合、現実はそれほど甘くはなかったのではないかと想像します。ホームページを更新しつづけるだけの中身と活力を持った一部の人々が前者となったのだろうと思いますが、多くの個人ホームページの末路が示すように短期間のうちに語るべき内容=「中身」を失い、誰の関心も集めることなく更新されないまま放置されています。そしてこれらが積もり積もってクズの山を築いているということもできるわけです。

自ら語るべき内容をさほど持っていない普通の人々にとって、こうした「誰かと繋がりたい、繋がっていたい」という欠乏は、その後は携帯電話というメディアに場を移していったのではないか、というのが私の仮説です。どなたかの投稿文にもありましたが、何かを生み出すということもない、たわいないやりとりではありますが、確かにお互いに何かしら繋がっているという感覚はあるのでしょう。

私はこうした「繋がっていたい」という欠乏は、本源的なものであろうと肯定的に受け止めているのですが、心や感情の交流といったものを求めるには、インターネットというメディアは不向きであったのではないかと思います。

また翻ってインターネットの世界の推移に目を向けた場合、やはり質の低い無内容なものは淘汰され、質の高いものだけが生き残る場になりつつある、ということは言えるのではないかと思います。

岩井裕介

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