本源収束という点からみると、近年の人々の意識潮流は、例えば自然との共生、あるいは身近に体感しあえる仲間関係、さらにもっと高次元の社会活動などといった本源的(人間的)価値へと向かいつつあるといえます。これは同時に、現状の社会の閉塞状態を自覚し、そこから脱出を図りたいと可能性を探っているのだともいえるでしょう。
しかし、我々は顕在的に捉えられる危機感を、あるいは潜在的に自覚しているはずの新たな可能性を、未だ明確な概念で捉えきれないままなのではないでしょうか。
私権にすがりついてもむなしいだけだと肉体的に感じ取ることは出来ても、それを明確に説明できない、「私権」という本質すら自覚できない。これでは心の奥底に芽生えているハズの新たな可能性を自らつかみ取ること事は出来ないばかりか、相手に伝えることなどおぼつかないことでしょう。
相手に意思伝達をするための原初的手法として我々は表情、しぐさなどの身体言語を用いることがあります。あるいは「気持ちが通じ合う」といった類の共感機能も備わっていることでしょう。こうした根源的な機能は人間存在として無視することはできませんが、しかし、伝達の手法としては物理的・空間的な制約が大きいため、正確な情報伝達手段として見た場合その限界は明かです。
とすれば、我々に必要なのは閉塞状況であれ、新しい可能性であれ、現実そのものを明快に説明しうる「新しい言葉」ではないでしょうか。
実際これまでも新しい知見が発見されるたびに様々な言葉が生み出されました。例えば、1865年にメンデルは遺伝の法則性を見出し、それを司る「遺伝する単位」の存在を明らかにしました。当時は研究者ですら見向きもしなかったものが、以降様々な研究が進むにつれて「遺伝子」という今では中学生でも知っている言葉になったのです。
観念であるところの「言葉」は我々の奥底にある意識を引き出してくれると同時に、様々な現象を最先端でキャッチするアンテナの役目も果たします。複雑に見える事象を説明することのできる、可能性を感取する事のできる「新しい言葉」をつくり出し、発信していくことで、時代を切り拓く認識が連鎖的に伝播していくことでしょう。
それが「るいネット」のなし得る最大の役目ではないかと考えます。
麦秋
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