2012年9月7日金曜日

現実としてのインターネット

インターネットはお互い顔が見えないから人間的な結びつきを期待できない、あるいはどちらかといえば純粋な理論形成にむいたメディアである、といった意見がいくつかありました。確かにそれはそれでその通りだと思うのですが、条件によっては必ずしもそうとは言いきれないように感じます。

というのもまず、画面を通じたやりとりは対面的なやりとりに比べてコミュニケーション能力面での敷居が低い分、誰でも気軽に参加できるという側面があり(ハードの普及という問題はさして重要ではないでしょう)、現実に場を見つけられない人間の受け皿となりえます。

また、現実世界では存続しがたい小さな集団が並立しているので自分にふさわしい(と思える)「場」の選択肢も多く、結果としてパソコンの画面にだけは心を許す、ということがあっても今なら不思議ではないでしょう。これは匿名性ゆえに可能な部分が大きいわけで(知らん人やからこそなんでも言える感覚)、対面上の関係とくらべてどちらが上だとかそういう問題ではないと思います。むしろまったく別物と考えるべきでしょう。

傍から見ればどうでもいいような情報交換の場であっても、当人にとっては掛け替えのない居場所であるということもありうるのです。それにそこから創造や生産が生まれることだって大いにありえます。掲示板とかをROMっていればムダ話の中にすごく有用な情報を見つけられたりするものです。ただその際かかるコストが大きすぎるのはどうしたもんかとは思いますが。。。

ハッキリ言ってもはやインターネットはれっきとした「現実」のひとつの新しいかたちなんだと思います。利用価値があるかどうかとか質が云々とかいう以前に、まずは目を向けて認め受け入れるべき対象なんじゃないでしょうか?


今里征太郎

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